Greeting
代表ごあいさつ
新里 幹彦(ニッサトミキヒコ)
Miki Nissato
全てに定まった時があり、全ての営みには時があります。それらは全て時にかなって美しいと私は信じています。今こちらを読んでくださっていることも、偶然ではないはずです。「変わりたい」「変えたい」「少しでも成長したい」――そんな思いがあって、今ここにたどり着いてくださったのだと思います。
私の願いは、皆さまそれぞれのカイロス=「特別な時」を掴むお手伝いをすることです。その想いを込めて、屋号をカイロスコンサルティングとしました。
問題や課題が生じた際、知りもしない相手に相談することはできません。私も同じです。そのため、少々長くなりますが、私自身がどのような人間であるかをお伝えすることが適切だと思いました。もし私とのChemistry(化学反応・相性・ご縁)を感じていただけるようであれば、是非ご連絡ください。皆様を全力でサポートさせていただきます。
それでは、以下にて自己紹介をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

写真家の石黒美香子さんに特別な感謝を申し上げます。

About Me.
自己紹介
ビジネス経験
キャリアの多くを、日系および外資系企業での営業職およびマネジメントに従事し、豊富な経験と実績を積んで参りました。アメリカやヨーロッパの製品(精密機械・切削工具)を取り扱う商社での営業職をスタートに、顧客対応から市場開拓まで幅広く手掛けました。
その後、採用リクルーティング業界に転身し、営業職として毎年高い業績を達成するとともに、マネジメントスキルを発揮。最終的には首都圏における10拠点・120名の組織を統括する首都圏エリア担当部長として、組織運営やリーダー育成、戦略策定に取り組み、企業の株式上場にも貢献しました。その後、グローバル企業との合併を通じて、業界で現在世界No.1の売上規模を誇る基盤構築に携わりました。
さらに、北米最大のパルプメーカーに転職し、2013年にはクインテグラル(旧称:AMA、グローバルナレッジ)に入社し、コンサルタントおよびトレーナーとして活躍。営業で培った現場経験とマネジメントスキルを活かして、多くの企業や個人をサポートしました。
そして、2025年より講師・コーチとして独立し、新たなキャリアの一歩を踏み出しました。


研修後に同僚と
同僚とアウトリーチ

学歴
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South Seattle College
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Seattle University(政治学専攻)
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産業能率大学(情報マネジメント学部)
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2024年3月、横浜国立大学大学院にて経営学修士(MBA)取得
資格
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CDA(キャリアディベロップメントアドバイザー) 合格
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DiSCⓇ インストラクター
以上が私の略歴(外的キャリア)です。
キャリアを積むことで、私自身が何を得て、どのように変遷していったのかという内的キャリアやパーソナルな部分も分かち合いたいと思います。
表面的なことだけではなく、どちらかというと、以下を皆様には知っていただきたいと思います。

人材育成の道へ
私には波に乗っている時期がありました。当時、私の手がけるプロジェクトの多くが成功し、多くの責任ある仕事を任されました。首都圏エリアを担当する責任者として、複数の拠点を統括していました。部下の数は最大で120名にも達しました。
しかし、そのような順調な時期に、リーマンショックという未曾有の危機が世界を襲いました。私たちの組織もその影響を免れることはできず、経営を立て直すためにリストラを断行せざるを得ませんでした。大切な部下に退職をお願いしなければならない日々が続きました。組織の責任者として、毎日部下との面談を重ね、ときには退職勧奨を直接伝えるという辛い場面も経験しました。最終的に、120名の部下が90名に減り、大切な仲間と別れなければなりませんでした。
その過程では、悔しさや失望を抱える部下の表情、涙を流す姿、さらには労働仲裁裁判で訴えられるという厳しい現実にも直面しました。組織の責任者として冷静な判断を求められる一方で、人間としての感情との葛藤が絶え間なくありました。
私の行動の指針としていたのは、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしてあげなさい」という価値観でした。しかし、組織の責任を果たすためには、その信念に反するような決断を迫られることもありました。そして、さらなるリストラ命令が下された際に、私はその職を辞する決意を固めました。
その後、紆余曲折があり、人事コンサルタントとして新たな道を歩み始めました。私は、組織や企業を強くする方法は大きく2つあると考えています。1つ目は、余分なものを削ぎ落としてスリムになること、つまりリストラです。2つ目は、一人ひとりの能力やスキルを伸ばし、人材を育成することで組織を強くすることです。私は前述の通り1つ目を体験済みだったので、この2つ目の方法に全力を注ぐことを決意し、クインテグラル・AMAに入社しました。
企業の幹部にはマネジメントやリーダーシップを、若手社員にはコミュニケーションやビジネススキルを教える活動を行いながら、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしてあげなさい」という価値観を実践することを心がけてきました。その結果、多くの企業から信頼を得て、多くのお客様に喜ばれる成果を生み出し、トップクラスの実績を継続してあげることができました。
過去の苦い経験を通じて学んだことは、困難な状況においても一人ひとりを尊重し、成長を支援することの重要性です。それが組織を強くし、持続可能な発展を支える原動力であると確信しています。
人生に遅すぎることはない―50代からの学び直し体験
近年、リスキリングやアップスキルといった社会人の学び直しが注目されています。これは非常に良い傾向だと思います。
私自身、社会人経験30年以上の中で、51歳で大学で情報マネジメントを学び始め、53歳で大学院に進学し、55歳で経営学修士(MBA)を取得しました。ここでは、再び大学に行こう、そして大学院進学を決めた理由、そして私からのメッセ―ジをお伝えします。
1. アウトプットだけでは満たされない焦燥感
私は、前職のクインテグラル・AMAで、研修やワークショップ、コーチングを通じて人材育成に携わっていました。しかし、そのような活動の中で、多くのアウトプットを行う一方で、自分自身のインプットの機会が不足していることに気付きました。
人は自分の中にあるものしか語ることはできません。表面上だけの付け焼き刃で身につけたものは、すぐにメッキが剥がれます。この状況に焦燥感や空虚さを覚え、「もっと役に立つ人材にならなければならない」と強く思うようになったのが、再び学び直す理由の一つでした。自分の刃を研ぎ、空の器を満たすために、数年間集中して深く学びたいという思いが高まりました。
2. 学びの楽しさを再発見
二つ目のの理由は、学ぶことの楽しさを再発見したからです。学生時代の私は、いかに効率的に良い成績を取るかばかり考えており、勉強よりも遊びやスポーツに夢中でした。しかし、高校受験期に楽しそうに勉強している長男の姿を見て、「学ぶことそのものが楽しい」と気づかされました。
その影響でさまざまな分野の本を読み漁り、好奇心が高まりました。そして、ビジネスとアカデミアをつなぐ架け橋になりたいという夢まで抱くようになり、MBAへの挑戦を決めました。
3. 自分自身を変化させる挑戦
三つ目の理由は、自分自身をどれだけ変化させられるかを試したいという気持ちです。大学院でD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)や組織行動を学ぶことで、自分が成長する姿を見てみたいと思いました。また、自分の仕事にも役立つだけでなく、典型的な日本人であると自覚する私がこれらの分野を学ぶことで、どれだけ変わることができるのか、自らの可能性を試したいという思いがありました。
4. 「学ぶのに遅すぎることはない」
私の場合、学び直しは外からの圧力ではなく、自分の内なる好奇心から始まりました。映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の中で、主人公のベンジャミンが手紙に「人生に遅すぎることは何もない。いつ始めてもいいんだ。変わるものも、変わらないのも君の自由だ」とつづったシーンが印象的です。
51歳で再び大学に進学し、55歳でMBAを取得した経験を通じて、「学ぶのに遅すぎることはない」と確信しました。年齢はただの数字であり、成長に制限を与えるものではありません。
5. 成長する喜びを共有したい
私の信念は、「人生の1日も無駄にしたくない」「楽しくない日はあってはならない」という思いです。この信念のもと、仕事と勉強を両立することでその思いをさらに強めました。
50歳を過ぎてから学び直しを経た私だからこそ、コンサルティングや研修、コーチングを通じて、多くの方々の成長をサポートできると信じています。

大学院でのプレゼン風景

55歳でMBA取得

息子たちと空手の稽古

コロナ後久しぶりの大会で優勝
私の基礎となる宝
私の人間性を知っていただくために、少しプライベートな話もお伝えしたいと思います。
家族構成は妻と、すでに成人した二人の息子がおります。私たちは可能な限り、日曜日には家族揃って教会(プロテスタント)に行くようにしています。月曜日から土曜日の間に少しずつ狂ってしまう心の時計の針を日曜日にリセットする――そのような生活を30年以上続けてきました。この習慣は、私の生活や仕事を支える大切な礎となっています。
また、私は13歳から空手を続けていますから、もう40年以上にもなります(途中にブランクはありますが)。息子たちにも幼少の頃から空手を習わせ、普段の夜は3人で道場に通い、稽古に励んでいます。ありがたいことに、3人とも黒帯をいただきました。白帯の頃は何色にも染まるように、さまざまなことを吸収していきましたが、黒帯の「黒」は他の色には染まりません。それでも新しいことを学ぶ努力は今も続けています。そして同時に、変わるべきではないもの――それは「継続すること」や「追求し続けること」――が黒帯の持つ意味なのではないかと、日々実感しています。
人間的に成長すること、心身を鍛えること――そのどちらにおいても、私にとって信仰と空手は宝物のように大切な存在です。それは私の生き方の本質を形作るものと言えるかもしれません。
以上、長くなってしまいましたが私の紹介になります。
このような私ですが、皆さまのお役に立てることがございましたらお知らせください。
